2023/09/12

何を目指してるの?何がしたいの?その答えは、勇気がなくて誰にも言えないし、これからも言えないままだと思う。

ずっと踏ん切りがつかなかったのは、やってみたことがない、やりきったことがないからだと気づいて、一回やりきってみようって思った。

やりきったって自分が思えたとき、どんな結末があるのか、どう感じるのか。それを体感してみないことには、わたしはずっとここで燻っているままだろう。

だから、まず動いてみようと思う。周りにどんなふうに関心を示されたって示されなくたって、思いつく限りのことをやってみようと思う。今、そんなふうに、動こうという決意が生まれた。

2023.08.25

なにも気にせずに動けるようになれたら。たとえば、お皿がたまっている流しで汚い手を洗うのはいやだとか、みんなが寝てからお風呂に入ると物音を立たないようにしなきゃいけないからいやだとか、犬がリビングにいていたずらしないようにずっと見張ってないといけなくて好きなことが思うようにできないのがいやだとか、汚いポンプボトルに詰め替えるのがいやだけど新しいのにしてほしいって言えないとか、窓を開けていてほしくないからレースを洗濯バサミでとめておいてほしいとか、小さいストレスがたくさんあるなかで過ごしている。

わたしの小さいこだわりと家族との生活リズムのズレによって、過ごしにくいことが多々ある生活で、実家の悪いところというのは、そういうことなんだろうけど、時々耐えられなくなるときがあってはやく一人暮らししたくなる。けれど、今のわたしの状態では到底いつになるかわからないので、気にしていないふりをして振る舞うしかないと思っている。

これまでは、家族が寝た後にお風呂に入れなくなっていたけど、入ってみた。でもやっぱりドライヤーで乾かすとき、家族が寝ているのに物音を立てて申し訳ないなと思ってしまってスッキリした気持ちになれなかった。そういうときに、なにも気にせずに動けたらいいのに、と思う。周りの気持ちを意識しすぎているところもあるんじゃないかと思っていて、もう少しいろいろ気にしないで楽な気持ちで生活を送りたい。けれどこれは実家にいるうちは難しい話なのかもしれない。

2023.08.25

なにも気にせずに動けるようになれたら。たとえば、お皿がたまっている流しで汚い手を洗うのはいやだとか、みんなが寝てからお風呂に入ると物音を立たないようにしなきゃいけないからいやだとか、犬がリビングにいていたずらしないようにずっと見張ってないといけなくて好きなことが思うようにできないのがいやだとか、汚いポンプボトルに詰め替えるのがいやだけど新しいのにしてほしいって言えないとか、窓を開けていてほしくないからレースを洗濯バサミでとめておいてほしいとか、小さいストレスがたくさんあるなかで過ごしている。

わたしの小さいこだわりと家族との生活リズムのズレによって、過ごしにくいことが多々ある生活で、実家の悪いところというのは、そういうことなんだろうけど、時々耐えられなくなるときがあってはやく一人暮らししたくなる。けれど、今のわたしの状態では到底いつになるかわからないので、気にしていないふりをして振る舞うしかないと思っている。

これまでは、家族が寝た後にお風呂に入れなくなっていたけど、入ってみた。でもやっぱりドライヤーで乾かすとき、家族が寝ているのに物音を立てて申し訳ないなと思ってしまってスッキリした気持ちになれなかった。そういうときに、なにも気にせずに動けたらいいのに、と思う。周りの気持ちを意識しすぎているところもあるんじゃないかと思っていて、もう少しいろいろ気にしないで楽な気持ちで生活を送りたい。けれどこれは実家にいるうちは難しい話なのかもしれない。

2023/08/23

あのちゃんは、学生のときのいつかに、思い立ってこのままじゃいけないって、アイドルのオーディションを受ける行動をしたけど、わたしは、まだ何年間もの間、フリーターとニートを行ったり来たりしていて、フリーターといっても、半分ひきこもりのような状態で、そこから飛び出す決心がつかないままだ。でも、あのちゃんがどうだからといって、わたしがどうなのかは、ほんとうは関係のないことだ。

 

わたしがここからどこかへ飛び出すには、どこへ行ったら、飛び出したことになるんだろう。今は色んな生き方があると言われてはいるけど、まわりには『まっとうな人生』を勧められ『あたりまえ』を求められる。わたしはどうなったら一人前だって自分自身でも思えて、親からも認めてもらえるんだろう。みんながふつうに歩んでいく道をわたしは歩めそうもないし歩みたいとも思っていない。

数週間前は、今よりもう少し働けそうな気がしていたけど、先週気分がガクッと落ちてバイトに行けない日もあった。働くことを、また拒否するようになってきた。わたしが働くことをつぶやいたりそういうことが頭の中に溢れてしまうのは、それがストレスだからで、金銭的に、つまり生きていくためにギリギリの状態が続いているからで、働くことについて考えたいからではない。ほんとうはもっと好きなことや楽しいと思うこと、うるおうこと、素敵だと思うことに目を向けていたい。でも、そんな余裕がない。働くのがうまくできないことが気になってしまって、そちらに気を奪われてしまって苦しい。

ここから抜け出せる日がくるのはいつになるんだろうか。あと何年かかるんだろうか。遠い未来を見てはいけない。気が遠くなるから。なんとかなる日はほんとうにいつか来るんだろうか。いまはわからない。

2023/08/17

がんばり続けることが怖い。言い訳なのかもしれない。最初に就いた病院の仕事で、わたしはキャリアウーマンになろうとしていた。

院内の仕事もままならないのに、休日にたくさん研修に行ったり、いろいろ調べて企画や発表をしたり、遅くまで毎日残業したり、そういうことがじぶんをよくするためだとか患者さんのためだとか病院のためだとか、思っていた。けれど、いろいろ手をつけすぎて回らなくなり人間関係の変化も重なってオーバーヒートして突然休職になった。この、一個目の就職先の件から、がんばり続けるとだめになる、というトラウマみたいなものができた。(このことはnoteにも数年前に書いたかも...)

 

それから転々としていくつかのバイト・パートをやってきたけれど、内容は違えどがんばらなきゃ、がんばり続けなきゃいけないかも、と思うと怖くなった。人間関係がうまくいかなかったり、仕事がなかなか覚えられなかったり、そんな誰にでもあるようなことの、小さいストレスが積み重なって迫ってくる感じが、怖い。

いつかまたわたしはだめになっちゃうんじゃないかと思ってしまう。先が見えなくて怖い。この先良くなっていく見通しが立たない。よくなっていく未来があるとしても、仮定であり、すごく遠く感じるものだ。

 

インターネットで困難を抱えながら仕事をがんばっている人たちを見つけると、どうしてそんなに頑張れるんだろう、わたしは怠けているんだろうか、もっと頑張れるんだろうか、がんばらなきゃいけない、みたいな思考になってしまう。

わたしが怖がりすぎているだけなのか、人それぞれなのかはわたしが仕事に行き続けないとわからない。 前の仕事を辞めた時の記憶が、じぶんのなかでは強烈で、数ヶ月通えずに最後書類を書くために上司と顔を合わせるため、職場に行ったときに、迷走神経反射になり、突然目の前に黒い靄がかかり冷や汗をかいて、面談中、立ちくらみや眩暈、吐き気がやばくなりトイレに駆け込んだことがあった。

ほんとうのストレスに耐えられないときの感覚ってあれなのかな、と思うと、まったくそこに行き着いていない今のわたしは、まだまだ今の環境下のストレスに耐えられる状態なのかもしれない。(迷走神経反射までいったら行き過ぎだけど...)

バイト中やたら眠くなったり、お弁当が喉を通らなかったり、胃が痛くなったり、手が震えたりするのは、明らかにそういう類の反応だと思われる。

 

誰かはああしてた、こうしてたというはなしは、参考になるところはあるかもしれないけれど、関係がないといえば関係がない。ただ、少なくともインターネットやリアルの知人でかつ精神疾患のひとたちのなかに、わたしほど仕事が嫌で拒否している・行かないひとは見つけられてなくて、みんな仕事に行っているから、わたしが情けないのかなと思ってしまう。

今は仕事に行く理由が弱いからなのかもしれないし、逃げグセ、辞めグセがついたような気もする。目標をつくらないと。まずは一年間通う、にしよう。あと半年だ。長い。一人暮らしのための貯金を貯める、でもいいかも。 今のわたしは睡眠障害以外に大きな症状はみられていない(と思っている)(時折うずくまるくらい)ので、だいぶ寛解している?と思っていて、じゃあなおさらもう少し仕事ががんばれるようになれそうだなとも思っている。もちろん焦ってはいけないとも思う。ゆっくりでいいと思う。

病気的にはそうだけど、気持ち的にはどうなんだろう。 もっとずーんとした気持ちじゃなく職場に通いたい。となると、人間関係かなと思うけれど、わたしにそれを開拓する勇気も自信もなくて、そうなると仕事に打ち込めるように、のほうが近いから、仕事に打ち込むためにはとにかくおぼえることかな。少しでも職場の居辛さを解消したい。まずはこわくても嫌でも毎回通うこと。一度通うのをやめるとたぶんまたニートになる気がするから、とにかく通うこと。通ったあとのことは考えないでおきたい。そんな余裕ない。通うだけで充分がんばっていると思いたい。

2023/08/14

風が増して、時折土砂降り。低気圧が不安。今日は早く寝たいけど、寝る前に音楽に浸りたいと思っている。好きを探すことをずっとしている。わたしの好きを探している。明日は、ずぶ濡れでバイトに行くことになりそう。今夜は少し冷房の効きがいいような気がする。

感情を抑圧してここまで来てしまったので、じぶんの感情がわからなくなるときがある。嬉しくないの?と言われて、嬉しいと感じて表しているつもりなのに周りには伝わっていないこともよくある。眠そうとか不機嫌と思われることもある。ぼーっとしているだけなのに、何か深いことを考えていそうと思われることもある。外からの見え方と内にいるわたしの感覚はちがう。

特に、怒りの感情について。わたしはあまり持っていなくて人よりも怒りを感じることが少ないと感じてきた。みんなはどうしてそのタイミングで怒るんだろうと思うことがあった。けれど、怒りの感情についても、わたしは抑圧していたことで自覚的でなかっただけではないかと思い始めた。気づいていなかっただけかもしれない。わたしはもしかしたら短気なのかもしれない。

心身が整っていないときは、やはり苛々しやすくなる。ちょっとしたことに待てなくなる。せかせかしてしまう。ただ、苛々したりせかせかしたりしたとき、エネルギーの矛先は最終的には自分に向かいやすい。他者に向かうこともあるけれど向かいにくい。自分があのとき〇〇しなかったせいだ、などと自罰的になっていくような怒りだ。

 

 

2023.08.02

夏。冷房の効いた朝焼け。蝉時雨は涼しく聞こえ、身体の痛みが感じられるようになった頃。魂だけだった状態から意識が身体の中にあることを知る。そういえば喉もかわいていて、あれは夢の中だったんだと気づく。静けさよ、幻想だったのですか。そうだとしたら、幻想の中に生きていたい。あの子の文だけ読まれていて、どうしてわたしの声は聞いてくれないの。わたしがからっぽだからですか。この世界に興味はないけれど、文と音楽には育てられたくて、ぷかぷか浮いているだけもいいけれど少しはわたしのこと、見てほしい、そのために、うずくまっていても目と耳だけは動かしていたい。この苦しみからどんなに逃れたくても、死ぬ以外の終わりが来ませんように。立ち向かうためのもっと強い理由を探さなきゃ。そうでないときっと簡単に折れてしまうだろうから。