2023/11/05

昔に揃えすぎて余った文房具の使い道に困っている。どれも好きな文房具なのに、今使える用途がない。昨日くらいに黒のシャー芯がなくなって、あとは折れた色のついたシャー芯だけになった。シャーペンをメインで使うのをやめて、いまはたくさんある鉛筆で日記やメモを書くことにしている。

 

わたしの人生の真ん中にあることってなんだろう。音楽?他に思いつかない。かといって、それがうまくいくとすべてがうまくいくような気がする、とも思えないな。そういうのが見つかれば、人生をわかってきたことになるんだろうか。人生について、(というと大きく聞こえてしまうけど)こういうものだから、と思えるようになれるまで、まだかかりそうだし、わかっていそうでまだわからないそういう類のこと(上手く言葉で表せられないくらいわかっていないこと)があるなと、それをわかっているだろう人の文を読むと、思う。

又吉のYouTubeを見て、よく自信がなさそうって言われるけど、自分の好きなものには揺らがず自信があるけど、好きなものを他の人に好んでもらえるかは自信がないというようなことを言っていた。わたしも近い感覚がある。好きなものはわたしの中に存在しているけど、それを誰かに勧めたり、いいでしょと見せたりすることには何かしらの抵抗があって、それはほんとうに好きじゃないから?とも思っていたけど、わたしの好きなものを誰かに受け入れてもらえる自信がないからかもと思う。それで傷つくのが怖いというのもあるのは知っている。でもそれは好きなものへの冒涜なのか?とも思ってしまう。

家にいると、家族の前でギターが弾けない。本を読むのにも抵抗があるし、好きな動画を見るのにも抵抗がある。ひとりのときにしかしたいと思えないけど、いざしたいタイミングは選べないし......。

 

コーヒーを飲む。

 

&premium12月号、毎日を気持ちよく過ごす、100のこと。を読んでいる。使命感や義務でしか動けない。雑誌を買うといつも買っただけで終わってしまうので、そうならないようにと思って、今回は買ってすぐから、気持ちが向いたときに読み進めている。

気持ちよく過ごすことのなかに、お金がないとできないようなことやその生活をしていないとできないようなこともあって、今のわたしはないものを探してしまっているかも、と思う。自分にもできそうなものや応用の効きそうなものを探して、毎日を気持ちよく過ごしたいと思っている。

毎日短い日記を書いているけど、一日を穏便に済ませようとしているからか、刺激が足りないような気がする。日記の文面がもっとわくわくしたり、感情が動いていてもよさそうなのに、そうなれていないような気がする。もしくは、脳を使えていないような気がする。考えて生活するというのも、なんだかおかしいし、自然のなりゆきで日記を書けばいいとは思うけど、なんとなく想像している日記とはかけ離れたものしか書けないことが、わたしをむずむずさせる。